邦画が海外で公開される際、どんなタイトルがつくのか。
いろいろ見ていると、なかなかおもしろいことがわかってきますね。
なかには邦題をそのままアルファベットにしたようなものもありますが。
影武者 → Kagemusha
用心棒 → YOJIMBO
生きる → IKIRU
タンポポ → Tampopo
鬼婆 → Onibaba
普通はタイトルの日本語を英訳するのが一般的ですね。
愛のむきだし → LOVE EXPOSURE
火垂るの墓 → GRAVE of the FIREFLIES
風立ちぬ → THE WIND RISES
告白 → CONFESSIONS
リリイ・シュシュのすべて → All About Lily Chou-Chou
こういった邦画のその英語タイトルを比べてみると、英語が日本語より優れている点、日本語が英語より優れている点がよくわかってきます。
本日はそんな邦画の英語タイトルについての話題です。
抽象的な概念を表すなら英語
邦画のタイトルが英語に訳されているのをみて気がつくのは、西洋の言語は日本語とくらべて抽象的な概念を言い表すのに優れているため、意味に奥行きが出てくることがよくある、ということ。
これはどういうことかというと、例えば life という言葉ひとつとっても、これを日本語に直すと「人生」という意味にもなれば、「生命」という意味にもなり、「人命」という意味にも「生き物」という意味にもなる。
意味合いに奥行きがあるので、ひとつの日本の言葉ではすべて表現しきれないわけです。
もちろん逆のパターンもないわけではありません。
例えば「まったり」という日本語などは、英語に直すと、relaxed や comfortable などの気分を表す言葉にもなれば、mellow だとか rich taste などの味を表す言葉にもなる。
しかしやっぱり全体を比べると、英語は抽象的な概念を言い表すのに非常に優れていて、日本語の言葉はひとつひとつの意味合いが実に乏しい。
そのぶん、日本語は語彙が多いので、いろんな概念を細かく言いあらわす言葉の豊富さにおいては世界屈指です。
しかし、ひとつひとつの言葉が表現するニュアンスの深さ、という点では、日本語は不得手な言語なんですね。
そんな感じでまずは、英語タイトルになって、その意味合いに奥行きが出た邦画のタイトルをピックアップしてみました。
マルサの女 → A Taxing Woman
邦題:マルサの女
英題:A Taxing Woman
監督・脚本:伊丹十三
出演:宮本信子、山崎努、津川雅彦
日本公開:1987年2月
アメリカ公開:1988年6月
まずは伊丹十三監督のこの傑作から。
Taxing は tax(税金)の動詞の現在分詞ですから、「税金の」という意味もありますが、これが辞書で調べると「骨が折れる」「厄介な」という意味もあります。
つまり『マルサの女』の英語訳であると同時に、「骨の折れる女」「厄介な女」という意味にもなるんですね。
脱税をしている奴らをどんどんやり込めていく主人公の奮闘ぶりがタイトルに現れています。
この『マルサの女』は、私が渡米する前に最後に日本の映画館で見た映画なのですが、アメリカに留学している間にも近所の映画館で公開されまして、アメリカ人の友達を連れてあちらでも2回ほど見に行ったことがあります。
その後、学校のクラスでもこの映画のことが話題になり、アメリカ人の先生に、「この映画のタイトルは、邦題では職業を意味しているだけで、“骨が折れる”みたいな意味はない」と教えたら、意外そうな顔をしていました。
『マルサの女』は私の生涯ベスト10以内には入る大好きな映画ですが、こんな経験も含めて、いろんな意味で思い出深い映画です。
天国と地獄 → High and Low
邦題:天国と地獄
英題:High and Low
監督:黒澤明
脚本:黒澤明、菊島隆三、久板栄二郎、小国英雄
出演:三船敏郎、仲代達矢、山崎努
日本公開:1963年3月
アメリカ公開:1963年11月
次は黒澤明監督のこの名作。
(この映画も私の生涯ベスト10に入ります)
以前「Climb every mountain の歌詞で英語の勉強」という記事でも書きましたが、この High and Low は「くまなく」という意味の熟語なんですね。
『天国と地獄』は誘拐事件を描いた犯罪ドラマですが、この邦題は被害者となる金持ちの男性と、誘拐犯である貧乏な青年との社会的立場の対比を表しています。
ところがこれが、英語タイトルでは、犯人を追い詰める刑事たちが、あらゆる手がかりを求めてくまなく東京を探し回る、そんな刑事と犯人との激しい攻防までが表現されているようです。
アメリカで知り合った映画好きの友人も、この邦題を『Heaven and Hell』と訳さずに『High and Low』と訳した人のセンスは素晴らしい、と言っていました。
『天国と地獄』は、三船敏郎演ずる金持ちの実業家と、山崎努演ずる貧乏な犯人、この2人に加えて、仲代達矢演ずる刑事の3人が揃って映画の骨子を支える主役になっていますから、英語タイトルの方がより物語の全貌を的確に表していると言えますね。
それでいて、原題の『天国と地獄』にある貧富の格差といった社会問題の意味合いも high(高い)と low(低い)という言葉にしっかり残っています。
英語の得意技が遺憾なく発揮された見事な英語タイトルだと思います。
おくりびと → Departures
邦題:おくりびと
英題:Departures
監督:滝田洋二郎
脚本:小山薫堂
出演:本木雅弘、広末涼子、山崎努
日本公開:2008年9月
アメリカ公開:2009年5月
departure は「出発」を意味する単語です。
「出発」とは、旅への出発でもあれば、人生の新たな門出や、死への旅路の意味でもあります。
だから英語のタイトルは「納棺師」という主人公の職業の内容を表していると同時に、主人公の人生の新たな門出まで表現されているんですね。
やっぱり日本語でも大和言葉を使ったタイトルになると、その語感に英語では表現できない日本的な情緒が出ていますが、やっぱり意味合いの広がり、という点に注目すると、英語は実に抽象性に優れた言語だと感じます。
日本語の得意技:オノマトペ
このように英語の得意技はひとつひとつの単語の意味合いが抽象性に優れている点ですが、それでは日本語の得意技は何かというと、それはオノマトペの多さなんですね。
ふわふわ、イライラ、いじいじ、でれでれ、くろぐろ、あかあか、まるまる、つるつる、もじもじ、ぱくぱく、にやにや、てへぺろ、ぷんすか、あたふた、うるうる、がさごそ、ぎくしゃく、きょろきょろ、くねくね、こそこそ、じたばた、しっぽり、そわそわ、へなへな
みたいな音を言葉で表したものがオノマトペです。
このオノマトペの豊富さに関しては、日本語は驚異的なまでに優れた言語なんですね。
上のいくつかの例をみてもわかりますが、実際には出ない音も、日本語は的確にオノマトペで表現してしまう。
また、そよ風、とろろ芋、キラ星、ガチャ目、トンカチ、ふらつく、ゴロ寝、カンカン照り、みたいに、オノマトペを組み込んだ普通の言葉も多くみられます。
このオノマトペによる表現の豊かさには、英語など逆立ちしても敵いません。
次はそんな、英語タイトルと比べることによって、日本語の得意技が浮き彫りになった邦題をピックアップしてみました。
おもひでぽろぽろ → Only Yesterday
邦題:おもひでぽろぽろ
英題:Only Yesterday
監督・脚本:高畑勲
出演:今井美樹、柳葉敏郎、本名陽子
日本公開:1991年7月
アメリカ公開:2016年2月
この邦題が表現している日本的情緒を英語にするのは不可能ですね。
英語タイトルの Only Yesterday は「昨日だけ」という意味ですが、これはどういうことかというと、英語には
It seems like only yesterday.
(まるで、ほんの昨日のことのようだ)
という物言いがあるんですね。
だからこの Only Yesterday には、「ほんの昨日のことのように思い出す過去の懐かしい記憶」という概念が含まれているんですね。
だから意味合いとしては英語も得意分野ですから、なかなか負けてはおりません。
しかし邦題の「ぽろぽろ」という語感に導かれてふわっと浮かんでくるイメージ。
まるで涙がぽろぽろこぼれ落ちるように思い出があふれてくる。
そんな情緒はどうしても英語では表現しきれない日本語の美しさ、奥深さだとしみじみ感じます。
いつかギラギラする日 → The Triple Cross
邦題:いつかギラギラする日
英題:The Triple Cross
監督:深作欣二
脚本:丸山昇一
出演:萩原健一、木村一八、多岐川裕美、荻野目慶子、千葉真一
日本公開:1992年9月
アメリカ公開:不明(おそらく未公開、VHS・DVD発売のみ)
これはあまり日本的情緒は感じませんが、日本語でしか表現できないニュアンスが生きているタイトルですね。
英語タイトルの triple cross は「三つのものが交わる」という概念を表している言葉です。
この映画でいうと、ギャングやロック青年やイかれた女が三つ巴の現金争奪戦を繰り広げる内容を表しているんですね。
「いつかギラギラする」って、意味は曖昧ですが、なんだか日本人にはじわっと感覚で理解できる表現ですよね。
ただよく考えると、これは大金をめぐって登場人物たちがドタバタを繰り広げるアクション映画ですから、今まさに「ギラギラしている」人たちを描いた映画であって、「いつかギラギラする」だとちょっと語弊がありますよね。
(『いつかウハウハする日』ならわかりますけど)
と思って調べてみたら、この『いつかギラギラする日』というタイトルは、wikipedia によると、河野典生さんという方の書いたぜんぜん違う内容の小説に『いつか、ギラギラする日々』というのがあって、そのタイトルがとてもカッコいいので拝借したものなんだそうです。
小説『いつか、ギラギラする日々』の内容紹介を読んでみたところ、「傷ついた若者たちを描いた小説」と書いてありました。
実際の小説を読んだことがないのではっきりとは言えませんが、確かにこの内容なら「いつか立ち直ってギラギラしだす」はピッタリな気がしますね。
だから意味合いとしてはやはり英語タイトルの方が的確なんですね。
こういうのをみても、日本語は意味は曖昧だけれども、そのかわり、オノマトペを巧みに言葉に組み込んで、なんともいえない雰囲気や感覚を出すのに優れている言語、だということがわかります。
おわりに
邦画の英語タイトルからみる日本語と英語の得意技、いかがでしたでしょうか。
英語は抽象的な概念を的確に表現し、そこに裏の隠された深い意味合いまで含ませることに長けた言語で、日本語は意味は曖昧だけれども、音や、言葉では表せない感覚を情緒たっぷりに表現するのに優れた言語、ということがよくわかりますね。
やっぱり言語が異なれば、それが表現できる得意分野と不得意分野があるのは当然のことです。
ちなみになぜ、西洋の言語は抽象性に優れ、日本語は語彙は多いわりにはひとつひとつの意義が狭いのかというと、西洋は長い年月をかけて独自で言葉を発達させてきたのに対し、日本語は歴史のなかで、短い期間に海外から一気に異文化が流れ込んでくる、という局面が何度かあったことが関係しているんですね。
例えば古代の日本は言語がまだ未発達の段階で中国の文化が盛んに入ってきてしまったたため、「天」とか「縁」とか「時」とか、抽象的な概念はほとんど大陸から入ってきたものばかり。
それに加えて明治維新になり、西洋の文化を一気にとりいれるため、間に合わせに漢字をふたつみっつ繋げ合わせて5万語とか6万語とか、新しい言葉を作って日本語に組み込みました。
「冷静」だとか「情熱」だとか「破壊」だとか「熱帯」だとか「告白」だとか「時間」だとか、こういう感じの熟語はほとんど明治維新以降に新しくできた言葉ですね。
なかには「自然」などのように、2千年以上前からある中国の言葉を nature の訳語にあてがった、なんてケースもありますが、どちらにしてもこういう抽象的な概念を表す言葉で、完全に日本の土壌で発生した言葉、というのは滅多にありません。
このブログの「映画で英語勉強ノート」カテゴリの記事を読んでいるとしばしお気づきになられるかと思いますが、英語の言葉はひとつの言い回しで、2つ以上の意味を表したり、ひとつの言葉の裏に、隠された意味が潜んでいたり、そういうのがとても多いんですね。
そのぶん、日本は四季がはっきりしていて、花鳥風月という言葉に象徴されるように、自然に対する独特の美意識をもっています。
この日本人の生まれながらの優れた自然観によって、その感覚を言葉で言いあらわそうとする意識が、世界でも類のない豊かなオノマトペの発達につながったのではないかと思います。
こんな感じで、英語と日本語、それぞれの言語の特徴をくらべてみることで、英語の文章をより深く理解する手助けにもなりますし、また日本語のよさを改めて知るきっかけにもつながるんじゃないでしょうか。