私はタランティーノの脚本を読むのが大好きです。
タランティーノの脚本はほぼぜんぶ原書で読みました。
(このあたりの私の趣向は以前に書いた「ハンス・ランダは何故ショシャナを撃たなかったのか?【イングロリアス・バスターズ】」という記事を参照してください)
タランティーノの脚本を読んでいて感じるのは、タランティーノの映画って、脚本よりおもしろくなっているものと、脚本の方が映画本編よりはるかにおもしろいものと、2通りあるんですね。
例えば『ジャンゴ 繋がれざる者』や『ヘイトフルエイト』などは脚本より映画本編の方がずっとおもしろかったんですが、『キル・ビル』や『イングロリアス・バスターズ』などは、映画本編よりも脚本の方がはるかにおもしろかった。
『イングロリアス・バスターズ』の問題は、ショシャナがミミュー夫人と知り合う過程がバッサリ切られていることなんですね。
冒頭でショシャナは家族をナチスに惨殺され、フランスの農村から命からがら逃げ出すんですが、次の登場シーンで、ショシャナはいきなりパリの映画館のオーナーになっています。
このショシャナがパリに流れ着いて、映画館の当時のオーナーであるミミュー夫人と運命の出会いをし、映画館で働くことになる過程がカットされていることで、いくつかの重要な伏線が消滅してしまっているんですね。
このブログでは何回かに分けて、『イングロリアス・バスターズ』のセリフを教材に、英語の勉強をしているわけですが。
重要な伏線が抜け落ちたままでは、全体のストーリーの把握も中途半端になりますので、このブログではタランティーノの脚本から、映画本編ではカットされたミミュー夫人のエピソードも英語の勉強の教材として取り上げることにいたします。
訳出についての序文
まずは本日のブログで、タランティーノの脚本から、ミミュー夫人のエピソードを私がまるごと翻訳したものを掲載します。
そして次の『イングロリアス・バスターズ』の回から数回に分けて、元の英文を引用して、英語の解説をしていきたいと思います。
タランティーノの脚本はカメラアングルなども細かく指定しており、すべて訳すと読みにくくなってしまいますので、それらのいわゆるト書きはところどころ省略しました(ほんの一部です)。
このブログでは映画のセリフに焦点を当てて英語の勉強をしていますので、セリフ部分は完全に網羅してあります。
あくまでも英語の学習教材として訳出するものですので、その旨ご了承ください。
脚本の書式は日本とアメリカとで異なりますが、日本人の皆さんに読みやすいよう、日本の脚本の書式に変換して翻訳しました。
それではタランティーノの脚本から、ミミュー夫人のエピソードをお読みください。
ミミュー夫人とショシャナが出会うシーン
和訳
第3章 パリで、ドイツの夜
◯パリの小さな映画館・客席(夜)
パリの映画館の客席。
ドイツ占領後のパリの人々
ゲッペルス制作のドイツ・ミュージカル映画を見ている。
観客のひとりにショシャナ。テロップ「ショシャナ・ドレイファス:家族惨殺から2週間後」
ドイツ・ミュージカル映画がクライマックスをむかえる。
劇場が明るくなり、観客たちはコートを手に出てゆく。
ショシャナ、どこからかくすねてきたナースのコスプレ姿。
席に座ったまま動かない。◯パリの小さな映画館・外(夜)
観客がぞろぞろ出てゆき、その頭上の大看板のライトが消える。
大看板にはフランス語で“ドイツの夜
ブリジット・フォン・ハマーシュマルク主演
『メキシコのじゃじゃ馬娘』”と書いてある。
◯パリの小さな映画館・映写室
映写技師のマルセル(フランス人・黒人)
映写機からフィルムを外し、巻き戻し機にセットしているところ。◯パリの小さな映画館・客席
誰もいない客席にひとりだけポツンと座っているショシャナ。
映画館のオーナー、ミミュー夫人(魅力的なフランス人女性)
ボックス席のひとつから姿を現し、少女を目に留める。
(以下、ふたりの会話、フランス語の英語字幕で)
ミミュー夫人「さて、お嬢さん、どう考えても今日はもう上映終わったのわかるわよね。ということは、何かご用かしら?」
ショシャナ「今夜、ここで寝ていいですか?」
ミミュー夫人「つまり、あなたは看護師さんじゃないってことね?」
ショシャナ「違います」
ミミュー夫人「でもまあお上手。賢い変装だこと。ご家族は?」
ショシャナ「殺されました」
ミミュー夫人「ということは、戦争孤児なのね?」
ショシャナ「わたしたちはナンシーに住んでいて、ドイツ軍に見つかって……」
ミミュー夫人「で、そこから悲しい展開になるわけ?」
ショシャナ「はい」
ミミュー夫人「悲しい話はうんざりだわ。今どきのパリじゃ、誰でもひとつはかかえてる。お互いうんざりさせっこはやめましょう」
ショシャナ「あのう……あの機械、使えるんですよね?」
ミミュー夫人「なんの機械?」
ショシャナ「(手で映画のフィルムを回すマネをしながら)あの映画を映す機械です」
ミミュー夫人「映写機のこと? わたしがここのオーナーなのよ。もちろん使い方くらい知ってるわ」
ショシャナ「ですよね。見てました」
* * *
(フラッシュバック)
階段の下から映写室を覗き込むショシャナ。
ミミュー夫人、手際よく映写機を操作している。
* * *
(戻って)
ショシャナ「教えてください。あの、映画を映す機械の使い方、教えてください。あなたと、あの黒人の方だけしかいませんよね。人手が必要じゃないですか」
ミミュー夫人「わたしはヤツらの敵を匿って銃殺になった者を6人は知ってるわ。7番目のアンラッキーな人になる気はさらさらないけどね。パリにきてどれくらい?」
ショシャナ「一週間とちょっとです」
ミミュー夫人「夜間外出禁止令のなかをよく捕まらずにくぐり抜けてきたわね?」
ショシャナ「屋根の上で寝てました」
ミミュー夫人「やっぱり賢い子だわ。寝心地はどうだった?」
ショシャナ「寒かったです」
ミミュー夫人「でしょうね(笑)」
ショシャナ「僭越ながら、あなたの想像を超えてると思います」
(間)
ミミュー夫人「……まあいいわ。(しばらく考えて)……つまり、35mmフィルムの映写機の使い方を知らないあなたに、わたしがその使い方を教える。そして、あなたはここで働いて、この映画館を隠れ家にする。そういうことね?」
ショシャナ「はい」
ミミュー夫人「名前は?」
ショシャナ「ショシャナ」
ミミュー夫人「わたしはミミュー夫人。奥様、とでも呼んで。ただし、ここは映画館だからね。わがままが許される戦争孤児院と違うから。とは言っても、あなたが言った通り、人手が足りないのは事実。あなたがちゃんと働けるなら、雇ってあげてもいいわね。ショシャナ、あなたは、ちゃんとやれるのかしら?」
ショシャナ「はい、奥様」
ミミュー夫人「それはわたしが判断することにするわ」
解説
映画本編ではショシャナたちがいたフランスの田舎は場所が特定されていませんでしたが、この脚本によるとナンシー(Nancy)なんですね。
ナンシーにはフランス人の友人が住んでいて、彼に会いに一度だけ行ったことがありますが、何もないところでした。
注目なのが、このシーンでショシャナが見ている映画の主演女優がブリジット・フォン・ハマーシュマルクというところ。
ここで映画のスクリーンの向こうの女優さんだった人物が、のちにスパイとしてストーリーに絡んでくるところがおもしろいんですが、ここがカットされているため、映画本編ではハマーシュマルクの登場がずいぶん唐突な印象になってしまっています。
さて、この後すぐ3年後に話しが飛び、映画本編にもあったショシャナとフレデリック・ツォラーが出会うシーンになるんですが、さらにその後に、もうひとつカットされた重要なシーンがあるんですね。
ショシャナが屋根の上でタバコを吸いながら、亡くなったミミュー夫人のことを思い出すシーンなんですが、ここにも映画本編では欠落した注目すべき伏線が隠れていますので、本日はこの部分も合わせて訳出したいと思います。
ショシャナがミミュー夫人のことを思い出すシーン
和訳
◯屋根の上・外(夜)
ショシャナ、映画館の屋根の上に立ち、タバコに火をつける。
最初の煙を大きく吸い込むと、頭の中に声が聴こえてくる。
* * *
(フラッシュバック・回想)
映写室。
ミミュー夫人、若き日のショシャナ、黒人映写技師のマルセル。
ショシャナ、タバコに火をつける。
ミミュー夫人、ショシャナの顔を激しく平手打ち。
マルセル、床に落ちたタバコを急いで足でもみ消す。
ミミュー夫人「もう一度わたしの映画館でタバコに火をつけてごらん、あなたをナチに突き出すからね! わかった?」
あまりの言葉にショックを受けるショシャナ。
ショシャナ「はい、奥様」
ミミュー夫人「どうせ映画館に火がついたら、ナチのユダヤ人移送列車に詰め込まれるよりずっと酷いことになるんだから。そのうすらボケた頭でよく考えな。映画館を経営していて、何よりも優先しないといけないことは? この場所を火から守ること、そうでしょ! わたしのコレクションには、映画のナイトレートフィルムが350本以上あるのよ。とてつもなく燃えやすいだけじゃない。ちょっとしたことですぐ劣化する。一度火がついたら、紙の三倍の速さで燃えてゆく。そんなことになったら……フッ……すべておしまいだわ、映画館も人間も。もし、この映画館で二度と火なんて使ったら……ううん、ナチなんかに引き渡したりはしない。わたしがこの手で殺してやる。それでドイツ野郎どもに夜間外出許可でももらうわ。わかった?」
ショシャナ「はい、奥様」
ミミュー夫人「言う通りにするかい?」
ショシャナ「はい、奥様」
ミミュー夫人「それが身のためさ」
* * *
(戻って)
ショシャナ、タバコの煙を吐き出す。
マルセルが登ってくる。
マルセル「大丈夫かい?」
ショシャナ「屋根の上でも、タバコを吸うと、奥様のあの厳しい声が聴こえてくる。だからわたしはタバコを吸うの。奥様の声がまた聴きたいから」
マルセル「お互い、奥様が恋しいよね」
ショシャナ「うん。わたしは大丈夫よ、ダーリン。わたしも、もうすぐ寝るから」
マルセル、中に入る。
ショシャナ、タバコを吸い続ける。
解説
このシーンを読むと、この映画ではタバコが重要な伏線のひとつであることがよくわかりますよね。
タバコは、ショシャナが亡くなったミミュー夫人とつながることのできる唯一のアイテムなわけです。
この部分があるからこそ、後のシーンで、ショシャナがランダ大佐にタバコをすすめられて微かに表情を曇らせるところや、最後にタバコを使ってミミュー夫人から受け継いだ映画のフィルムに火をつけてナチスに復讐するシーンが深い意味をもってくるんですね。
また、映画本編で、ショシャナが映画館を燃やしてナチスに復讐をする決意をマルセルに伝えるシーンのセリフで、こんなのがありましたよね。
映画が始まって62分12秒あたりの部分です。
If we can keep this place from burning down by ourselves, we can burn it down by ourselves.
(わたしたち、ここを火から守ることができるんだから、ここを燃やすことだってできるわよね)
映画本編ではフランス語のセリフになっているので、タランティーノの脚本から英語のセリフを引用しました(あくまでもここは英語の勉強のブログですので)。
この「火から守る」というセリフは、このカットされたシーンからの伏線だったんですね。
ところが、これが映画本編の日本語字幕では、こんな風に訳されています。
2人でここを戦火から守ったわ。だから、2人で燃やすの。
伏線の一部がカットされてこのセリフだけが単独で浮いてしまったので、戦争の文脈に当てはめて「火」の解釈が「戦火」に変わっているんですね。
ちなみにこのシーンで、ショシャナはマルセルのことをダーリンと呼んでいます。
さらに「わたしも、もうすぐ寝るから」と、一緒の寝室で寝ている様子も伺えます。
映画本編では曖昧になっていますが、脚本ではショシャナとマルセルは完全に恋人同士なんですね。
あとがきにかえての駄文
ミミュー夫人は中国の女優マギー・チャン(このページの冒頭画像)の配役で実際に撮影されましたが、本編ではまるごとカットされ、DVDの特典映像にも入っていません。
想像でモノを言うのはよくないとはわかっているものの、これほど重要なシーンなのにカットされてしまったのは、ちょっと映像の出来が悪かったのかな、と邪推してしまいます。
以前『パルプ・フィクション』のDVD特典を見ていて、カットされたシーンのユマ・サーマンのカメラ写りが酷く悪くて、なるほどこれはカットしたくなるのもわかるな、と思った覚えがあります。
タランティーノ自身は、「あのシーンをカットしたのはユマ・サーマンがカメラを持ってしゃべるところが、ありふれた陳腐な表現だと気がついたから」と発言していました。
しかしタランティーノは俳優さんにものすごく気を使う監督さんだとお見受けしているので、「ユマ・サーマンのカメラ写りがブスだったから」とは、そう思っていても決して言うわけないですもんね。
だからあくまでも私のつまらない想像ですが、ミミュー夫人のシーンも、タランティーノは「長くなってしまうし、ストーリー上、必要がないと気がついたから」と発言していますが、実は思ったよりマギー・チャンの役所がしっくりきていなかったとか、ショシャナ役のメラニー・ロランのナースのコスプレ姿がイマイチだったとか、何かしらカットしたくなる要素があったのかもしれないな、と思います。
このミミュー夫人のエピソードは、DVDの特典映像をはじめ、どこにも映像やスチールが出回っていませんよね。
こちらの動画にもありません(タランティーノ組の“カメラ・エンジェル”として知られるジェラルディーンさんのカチンコ集)
誰かマギー・チャンの出演部分の映像かスチール、見たことある人いませんかね?
* * *
本日の記事で訳出した部分で英語の勉強をした記事はこちらです。
ぜひ併せてお読みください。
ミミュー夫人とショシャナが初めて出会うシーンの前半部分
何気に紛らわしい beyond の使い方
ミミュー夫人とショシャナが初めて出会うシーンの後半部分
「僭越ながら」「まあ、いいでしょう」「とは言うものの」を英語で?
ショシャナがタバコを吸いながら亡くなったミミュー夫人のことを思い出すシーン
タランティーノの脚本の魅力とは