映画『イングロリアス・バスターズ』の文化的背景を探る記事シリーズ第3弾。
でした。
今回は「その他」ということで、前2回の枠にはおさまりきらなかった『イングロリアス・バスターズ』に出てくるアイテムや固有名詞をいくつか解説していきたいと思います。
パイプとタンパーについて
まずは名冒頭シーンから、パイプについての解説。
ハンス・ランダ大佐から尋問を受けるラパディット氏。
緊張を紛らわそうと、パイプを吸い始めます。
すると、すかさずランダ大佐もひとまわりでっかいパイプを取り出し、タバコを吸いはじめる。
ラパディット氏がパイプを吸って気持ちを落ち着けようと思ったら、逆にビビらされてしまう、というシーンです。
ここでランダ大佐が吸っているパイプが「キャラバッシュパイプ」というヒョウタンを素材にして作られたパイプなんですね。
パイプの素材として一番ポピュラーなのはブライヤーと言って、ホワイトヒースという木の根っこで作られたもの。
一般にパイプというと、ほとんどこれを指しますね。
その次にポピュラーなのが海泡石という鉱物で作られたメシャムパイプという種類。
ちなみにメシャムパイプを焼いて焦げ目をつけた「焼きメシャム」という種類のパイプがありますが、『続・夕陽のガンマン』という西部劇でリー・ヴァン・クリーフが吸っていたのがそれですね。
その次くらいにポピュラーなのがトウモロコシの芯で作られたコーンパイプで、これがラパディット氏が吸っているやつですね。
ちなみに人類の歴史上、もっとも有名なコーンパイプを吸う2大人物といったら、ポパイとマッカーサーでしょうか。
コーンパイプはブライヤーやメシャムと比べて安価なので、ラパディット氏のような貧しい農民はこれでタバコをよく吸っていたんですね。
中世のヨーロッパではクレイ・パイプといって、陶器でできたパイプがよく使われていましたが、現在ではあまりこれで吸ってる人はいません。
パイプの素材というと、もうだいたいこのブライヤー、海泡石、トウモロコシの芯、の3種類がほとんどです。
だからランダ大佐が吸っているキャラバッシュパイプというのは、ヒョウタンを素材に使っているので、かなり珍しいタイプのパイプなんですね。
(ただタバコを詰める部分は海泡石が使われています)
このキャラバッシュパイプはシャーロック・ホームズが吸っていたパイプとして有名です。
実際のコナン・ドイルの原作に「キャラバッシュパイプ」という記述はないんですが、挿絵などでいつのまにかシャーロック・ホームズのパイプといえばキャラバッシュ、というイメージが定着してしまったんですね。
つまりランダ大佐はこのパイプを吸ってみせることで、「俺はシャーロック・ホームズのように、隠し事をしてもちゃんとお見通しだぞ」というプレッシャーを与えているわけです。
現に、後のシーンで、ランダ大佐が「俺は探偵なんだ」というセリフがありますよね。
I’m a detective. A damn good detective. Finding people is my specialty, so naturally, I worked for the Nazis finding people.
(私は探偵なんだ。腕ききの探偵だ。人探しが専門だ。だから当然、ナチスで働いている。もちろん、人探しでね)
このランダ大佐がシャーロック・ホームズを気取っているという裏設定は、タランティーノ本人もインタビューなどで何度か語っていますから、ご存知の方も多いかと思います。
私がこのシーンでちょっと注目したいのが、タンパーの存在。
みなさん、タンパーってご存知でしょうか?
パイプを吸わない人はご存知ないかもしれませんね。
タンパーというのはパイプを吸う際に、タバコを平らにならすために使う道具です。
YouTubeで「pipe smoking」で検索してみるとわかりますが、このタンパーという道具、パイプを吸う際の必需品なんですね。
どのリアル動画にも必ず出てきますよね。
パイプを吸うのに、タンパーを使わないって、まず有り得ないです。
(指をタンパーがわりにしている人はいますけど)
ところが、今までパイプが出てくる映画をいろいろ見てきましたが、なぜかタンパーが画面に出てきたことがない。
私はこれがずっと不思議だったんですね。
それが、この『イングロリアス・バスターズ』にはちゃんと出てくるんです。
こちらの4:29くらいのところでランダ大佐が使う五寸釘みたいなのがタンパーです。
私の知る限り、映画でタンパーが出てきた例はこれが唯一です。
(他に、もしご存知でしたら教えてください)
私はタランティーノほど道具やメイクやセットにリアリティを追求する監督はいないと思っていましたが、他の監督たちが省略してきたタンパーの存在を、こうしてしっかり画面に取り入れているところがさすがだと思いました。
タランティーノの人種差別シャッフル傾向について
次はアルド・レイン中尉の演説から、アパッチ族の抵抗(Apache resistance)についてのセリフ。
Now, I’m the direct descendent of the mountain man Jim Bridger. That means I got a little Indian in me. And our battle plan will be that of an Apache resistance.
(さて、オレはかの有名な山男ジム・ブリッジャー直系の子孫だ。だから俺にも少しインディアンの血がまじっている。そこで、オレらの戦のやり方はアパッチ族が白人に抵抗したあのやり方を採用する)
ジム・ブリッジャー(Jim Bridger)というのは1810年から1840年代はじめまで、ロッキー山脈を徘徊していた山男(Mountain man)と呼ばれる人たちのひとりで、ネイティブアメリカンの奥さんがいたんですね。
アルド中尉はその子孫だから、ネイティブアメリカンの血がまじっていると言っているわけですが、本当かどうかはあやしい気がします。
ただアパッチ族のやり方を踏襲するためのギミックかもしれませんね。
アパッチ族の抵抗(Apache resistance)というのは、この映画でバスターズがナチスに対してやった、殺して頭の皮を剥ぐ、というあれですが、実はこの「頭皮剥ぎ」を最初にやったのは、白人がネイティブアメリカンに対してが最初なんだそうですね。
ネイティブアメリカンはその仕返しに、白人に対して同じやり方をしただけのようです。
私がこの設定で注目したいのが、タランティーノの“人種差別シャッフル傾向”。
この傾向はこの『イングロリアス・バスターズ』から加速した感がありますね。
ざっと辿ってみますと。
この『イングロリアス・バスターズ』では、ユダヤ人を迫害するドイツ人を、ユダヤ系アメリカ人たちが、かつて白人に迫害されたネイティブアメリカンのやり方で報復する。
次作の『ジャンゴ 繋がれざる者』では、白人が黒人を奴隷として迫害している社会で、ドイツ人が黒人を救済する。
しかもそのドイツ人は、その黒人を自国の伝説の英雄であるジークフリートになぞらえている。
(ちなみにジークフリートはワーグナーのオペラになっていて、ヒトラーはワグナーの大ファンだった)
しかしこの映画の最終的な敵は同じ黒人。
最新作の『ヘイトフル・エイト』では、アメリカ人同士が南と北で敵対している。
しかし本当の敵はヨーロッパ人(フランス人、イギリス人、メキシコ人)。
アメリカ人同士、団結してたら助かっていたのに、南北で争っているうちに全員、地獄行き。
ちなみに『ヘイトフル・エイト』の脚本には、ドメルグ一味をひっくるめて「ヨーロッパ人たち」という記述があります。
こうやってざっと要約してみると、もうゴチャゴチャですよね。
迫害していた人種が、時代や場所が違えば、迫害される立場に回っていたり、その逆があったり。
やりかたを真似し合っていたり。
タランティーノはそんな人類がくりかえしてきた差別を映画間でシャッフルすることで、その愚かさを訴えているように思います。
「練習あるのみ(Practice)」
次はアルド中尉とドノウィッツとの会話。
アルド中尉がドイツ兵の額にスワスティカ(鉤十字)のマークをナイフで刻んだ後のセリフです。
DONOWITZ : You know, Lieutenant, you’re getting pretty good at that.
ALDO : You know how you get to Carnegie Hall, don’t you? Practice.ドノウィッツ「中尉、どんどん上達しておりますな」
アルド「カーネギーホールの舞台に立つ秘訣を知ってるか? 練習あるのみだ」
これは元ネタになる話しがあるんですね。
ある人が道ばたで「カーネギーホールに行くにはどうしたらいいですか?」と尋ねられたところ、「練習、練習、また練習(Practice, practice, practice)」と答えた、という笑い話しです。
カーネギーホールとは、米国ニューヨークにある音楽の殿堂ともいえる名劇場。
超一流アーチストにでもならないと、この晴れ舞台に上がるのはなかなか難しいということですね。
言った人はピアニストのルビンシュタインだとか、ヴァイオリニストのハイフェッツだとか、コメディアンのジャック・ベニーだとか、諸説ありますが、よくわかっていないそうです。
リヴィングストン博士でいらっしゃいますか?(Dr. Livingstone, I presume?)
最後はアルド中尉を捕まえたランダ大佐のセリフ。
日本語字幕では「君が噂に名高いアルド・レイン中尉だな?」と、なんの味も素っ気もない翻訳になっていますが、英語はちょっとおもしろいセリフが書かれています。
As Stanley said to Livingstone, Lieutenant Aldo Raine, I presume?
(スタンリーがリヴィングストンに言った風に……アルド・レインでいらっしゃいますか?)
リヴィングストンというのは、19世紀のスコットランドの探検家のデイヴィッド・リヴィングストン博士(David Livingstone)のこと。
ヨーロッパ人で初めてアフリカ大陸を横断した人だそうです。
奴隷制度に強く反対していて、アフリカでの奴隷解放に尽力したんですが、奴隷商人の妨害にあって、3度目のアフリカ探検で遭難。
体調を壊してボロボロになり、イギリスでは死亡説まで流れる始末。
そのリヴィングストン博士を探しにアフリカまで行ったのがイギリスの探検家ヘンリー・モートン・スタンリー(Henry Morton Stanley)。
8ヶ月にも及ぶ探索の末、ついにタンザニアのウジジでリヴィングストン博士を発見。
ところがリヴィングストン博士は飢餓と体調不良で骸骨のように痩せ衰え、その悲惨な姿を目にして思わず発したスタンリーさんの言葉がこちら。
リヴィングストン博士でいらっしゃいますか?
(Dr. Livingstone, I presume?)
この言葉はあまりにもドラマチックな一言として有名になり、イギリス人が思いがけず人と対面したときの慣用句にもなったそうです。
ランダ大佐はこのマネをしているんですね。
ナチスの大佐が、ユダヤ系アメリカ人に対して、黒人の奴隷解放に尽力したイギリス人のセリフをマネている点がこのシーンのポイントです。
タランティーノの人種差別シャッフル傾向がここにもみてとれますね。
あとがき
全3回にわたって記事にしてきました『イングロリアス・バスターズ』の背景情報を解説するシリーズ、いかがでしたでしょうか。
今回の記事は前2回のように明確なテーマがなかったので、タイトルは昔なつかしいベストセラー本をパロってみました。
内容もそれに見合った情報が提供できていたら嬉しいです。
前2回の記事もまだの方はぜひご一読ください。
映画【イングロリアス・バスターズ】のセリフで学ぶ映画の歴史
映画【イングロリアス・バスターズ】のセリフで学ぶナチスと戦争